「常識を疑い常識と違うことをする」とは

こんにちは。激動の時代にこれまでの常識は通用しない、自分らしく生きるために常識にとらわれないように、などと言われていますが、そうは言っても「常識と違うことをする」ってのはなかなか難しいものです。

今回は、常識を疑う、常識と違うことをすることがなぜ難しいかを考えていきます。私も会社を辞めることについてとても悩んでいますが、「常識と違うことをする」ということへのブロックが強いと感じています。

常識とは何か、常識を疑うとは何か

そもそも常識とは何かというと、誰も定義していません。マナーとも違いますね。テーブルマナー、トイレの使い方、あいさつなど、マナーは相手がいる場所での関係作りに寄与する感じがしますが、常識は相手の有無は関係ありません。ただ自分を縛っている感覚的なものだと思います。

「自分を縛る」とは言いましたが、悪いことではありません。定義はなくても何となくみんなで同じようなことを考えているというのは、社会生活を送るうえでは効率的です。

そして、ある意味で無事に生涯を終えるうえでの、長年にわたる「正解」でもあります。わかりやすいのが「いい大学、いい企業」というやつで、「そうすればいい生活が送れるよね」という常識が一般にあり、それを目指せばいいわけです。(本当はもう正解ではないと思いますが)

そんな感じで、「これが大体において正解」というものが常識です。その正解を選んでいる限り社会から大きく外れることはない。そこに常識の範囲内で生きる楽さ、安心感があるのだと思います。

その常識を疑うとはどういうことか。これはとても難しい。

例えば働き方。

現代は実は起業しやすくなっている。会社員といえども安泰ではない。これからは自ら進んで道を開くことが人生の豊かさになる。

そんな言葉は、少し前までは無責任な煽り文句、起業セミナーの高額商材屋さんの宣伝文句でした。常識を疑うようなセリフには何だかいかがわしさもあるのですよね。

でも、まだ会社員生活が大半を占める社会ですが、フリーランスという働き方もよく見かけるようになってきました。常識は変わりつつあります。

常識と違うことをするとは何か

とはいえ、会社を辞めるというのはまだまだ一般的ではありません。私を例にすれば40代、男性、子供あり、特に仕事のアテなしの状態で会社を辞めることが「常識的か」と問われれば、多くの人は「非常識だ」と思うのではないでしょうか。

常識と違うことをすることを無謀と表現する場合もあるでしょう。無責任と言う人もいるかもしれません。

私も、この状態で会社を辞めるなんて、一家の収入源(の一つ)として正しいのかとずっと悩んでいます。さらには、40代でまだそんなこと言っているのか、とか、男性なのに無職になるのか、とか考えます。これは(多分まだ)常識でもあり、私が持っている「思い込み」かもしれません。

でも、常識と違うことするというのは、こうした思い込みから解放されることです。

いや思い込みじゃない、事実なんだ。多くの人はそう言うでしょう。家庭はこれからお金がかかる、会社員でいさえすれば余程のことがなければお金は入り続ける。家庭への責任があるのだから、自分の思いだけで決めていいことではない。

そうかもしれません。しかし、それもまた考え方の一つであり、絶対に正しい普遍の「常識」ではないのです。会社員を続けて心身を壊してしまう人もいれば、もちろんフリーランスで立ち行かなくなる人もいる。どんな道も、成功と失敗があります。

こうして具体的に考えていくと、「必ず守らなければならない常識」などないのではないでしょうか。

マナーは守ったほうがいいでしょう。相手との関係性を作る所作ですから。しかし常識は、社会の定位置に居場所を持つための共通認識程度です。「いや、ちょっと違うところに居場所を持ちたいんだ」「ここは居心地が悪い…」と思ったら、無理に常識に従う必要はありません。

常識と違うことをするとは新たな居場所を作ること。

あなたはどう生きたいか

言ってみれば、常識に沿っているうちは楽なのです。大多数の人が同じことをしていて、成功例もたくさんある。自分も大きく誤らない可能性が高い。そんな生き方から外れようというのは、まあやはり難しいことですね。

でも、なぜか湧く「常識と違うことをしたい」という欲求。それは今従っている常識が自分にとってはとても生きにくく、早く離れたいという思いからかもしれません。生きにくくはあるけど生き続けることはできる「常識」と、自分に合った居場所が見つかるかもしれないけど未知の領域である「常識と違うこと」。さてどうしようか。

いや常識には実績があるじゃないか。多くの人は常識に沿って生きて、(いろいろあるにせよ)比較的平穏な生涯を送っている。

事実としてはそうかもしれません。でも、「自分が生きたいのは、そういう人生なのか」です。

常識とは個人の思いを無視した共通の所作です。個人の思いがないのです。

自分の生きたい人生はどんなものか、常識にも思い込みにもとらわれず、自然な状態で考えてみませんか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました