こんにちは。会社では目標を持たせられることがあります。「目標管理制度」として定期的に仕組み化されて目標を立てることもあれば、「おまえ来月は1000万円は売上立てろよ」と指示される形もあるでしょう。
一方、みなさんは個人で目標を立てることはありますか? 仕事でもないのに目標なんて意識高いだとか息苦しいとか思われるでしょうか。
でも、目標を持つことこそ、充実した日々を送るのに大切です。
今回は個人が目標を立てることの効能についてお話していきます。
個人の目標は会社での目標とは違う
目標というとどんなものを思い浮かべますか。前述のように「売上1000万円」だとか「資格試験合格」といったものでしょうか。これらが悪いというわけではなく、わかりやすくてむしろいいと思います。
ただ、そうした明確な指標がない場合は、どう目標を立てたらいいかわからないかもしれません。
私は、初めは「幸せになる」とか「楽しく過ごす」など曖昧でもいいと思っています。
なぜなら、次に「なぜそれを実現したいと思うのですか」と自問するからです。なぜ幸せになりたいの? 幸せって自分にとっては何だろう? こうした問いから徐々に具体的にしていくことができるのが、個人の目標の特徴です。会社のように経営や事業計画といったものがないからこそ、自由に考えられる。
目標から行動の計画までの立て方は次をご覧ください。
個人の目標は日々の生活の目的をはっきりさせるため
日々の生活は、何も考えなくても送れてしまいます。しかし実際何も考えずに送ってみるとあとから「何も得るものがなかったなあ」「もう少し何かできたはず」と後悔します。
いや毎日一生懸命やっているからそんなことないよ、という方もおられると思います。それならそれでよいのです。しかしその「一生懸命」が自分から湧き出た気持ちなのかを考えてみてください。
例えば会社の仕事が忙しくて毎日午後11時まで残業しているとします。始めはしんどいけど慣れてくるとこれが当たり前になり、むしろ「一生懸命やっている」と心地よささえ覚えてきます。
さて、仕事が落ち着いて残業がなくなるとどうなるか。いわゆる燃え尽き症候群になります。頑張るものがなくなってしまう、何も手元に残っていない、私はなぜあんなに頑張っていたんだろう、これから何に頑張ればいいんだろう…。仕事が「他人から与えられているもの」である限り、こうなってしまう恐れがあります。
そうではなく、自分の内面から湧いてくることを見つけ一生懸命にやる。これが個人の目標です。これなら自分のためにやっているし、達成できたら次もまた自分の中から目標を見つければいいので燃え尽きることがありません。
日々の生活にもメリハリができて行動できるし、あとから「何もしなかったなあ」ということもなくなります。
幸せや充実感を感じるのは自分が主導権を持って動いているとき
一度自分で立てた目標に向けて日々を過ごしてみてください。「自分はやっている!」という充実感を感じるはずです。
私は、人が幸せを感じるときというのは自分の人生に対して主導権を持って動いているときだと思います。誰かに言われてやるわけではなく、自分がやりたいと思って何かをするとき、です。
究極的には、矛盾を抱えた表現かもしれませんが、個人の目標とは達成するために立てるのではなく、「日々、自分がそれに向かって活動している」と充実感、やりがいを感じるために立てるのだと思います。もちろん達成すれば充実感はさらに高まりますが、人生という長いスパンでは「今日はここまでやった!」という日々の積み重ねが大切だと思います。
例えば資格試験に不合格だったとしても「毎日あれだけやってダメだったんだから仕方ないよね」という気持ちになれるのは、日々の充実があったからこそです。もちろん合格するのが一番ですが、合格がすべてじゃないよというわけです。これは大学受験に失敗して人生に絶望する人に対してよく言われることですよね。
そんなわけで、ちょっと抽象的な話になりましたが、目標というのは達成のためでなく日々の充実、そして人生の幸せのために立てるものと知っていただければと思います。
そのうえで、目標は達成しないよりはしたほうがいいので、どうやっていくかを考えていきましょう。
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